トレジャーなんたらと大道芸

日曜日に仲良し家族(ただし、あちらのお父さんは残念ながら単身赴任中にて不参加)と江ノ島トレジャーなんたらかんたらに参加してみた。

寒い中、あっちこっちと振り回されていると、何だか巨悪に操られている様な被害妄想がつのってくるが、子供達が楽しんでいるので、まあ、良しとしよう。

ヒントが今ひとつピンと来ないながらも、最後までたどり着けたので、そこそこの満足感も得られます。

そんな事より、この日一番印象に残ったのは、江ノ島で見た大道芸人だった。芸そのものには特筆すべきものは無いが、恐るべきはその人心掌握能力か。なかなかにイケメンでチャーミング。何だか憎めないキャラ。最後にはすっかりハートをつかまれて、不覚にも少し彼のことを好きになってしまった。

場の一体感を醸造して、最後にはみなさんよろこんでお代を入れてしまうのだ。

彼は自分の事を「大道芸人 金子くん」と名のった。You tubeなんかで探せば出てくるかもしれない。

なんせ、オモチャの犬が宙返りするところで「おおっ!」と感嘆の声を上げてしまった程だ。よくよく考えたらスイッチ入れただけなのに。ちなみにこのオモチャの犬の名前は「仲村くん」だった。

無題 2

我が子の性格の破綻ぶりをみるにつけ、というか「性格の破綻」といってしまうのはいささか酷か。なにせ彼女は現在5歳であり、いまだ発達過程なのだから。ま、いずれにせよそんな状況をみるにつけ、彼女の性格は今後、社会化されていくのだろうかと、ふと思ったのだ。

単純な反抗期なのだろうか。であれば社会化の過程での反社会的な反動であり、ある意味それも社会化の範疇にある。彼女の行動や趣向は意外にステロタイプである事からも、そうなのかなと思う。

プロファイリングという犯罪捜査手法は、猟奇犯という特異な対象に対して有効だが、彼らは過去の同様の犯罪を模倣しており、だからこそ類型化が可能であり、一見して特異に見える彼らは実はかなりステロタイプなのである。

そういう意味では、一種の社会病理であり、社会の病瘡ともいえる。ひどい言い方だけど。しかし、という事は、いわゆる一般的と思われている人々の行動も同様の構造を呈しているのではなかろうか。なんつって。

まあ、我が子の性格を犯罪者とアナロジーしてみても仕方ないのだけど。

さて、反社会がある種の社会化のプロセスだとしたら、反社会以外のやり方で社会を乗越える方法はないのだろうか。いや、まあ、別に乗越えなくてもいいんですけど。

あるね。

いや、革命だとか、社会の仕組みを作り替えるとかそうゆうんじゃなくてね。まあ、もちろん出来る方はやっちゃってもらってかまいませんけど。われわれ小市民も、日々の生活のなかでのちょっとした気付きとか工夫とかね。そうゆうんでいいんじゃないかな。

話を我が子に戻すと、彼女はこのまま反社会→社会性の獲得、と進むのか。与えられたあるいは押し付けられた枠組みを受け入れるにせよ、拒否するにせよ、どこかの時点その型枠を解体→再構成していく事を望みますが。

ま、かってにやっちゃってください。

無題

唐突に更新してみる。

暇で事務所でぼーっとしててふと思った。だいたいそういうときは携帯でtwitterの方にボソッとつぶやくのだけど、あまりに暇なのでエントリーしてみる。

労働人口の減少をなんとかする為には女性の、とりわけ専業主婦のそれがあるという事は、もはや共通認識だろうと思います。だとしても、すぐさまそのような社会に移行できる訳はないでしょう。どんな事でもこの「移行」が一番難しい。断絶を生まずに、ジリジリと、しかし確実に進めていくというのはホントの意味で大人の仕事なんだろう。ついつい刹那的に大改革とかやっちゃいそうだもん。

ま、それはいいとして(いいのか)、いわゆる専業主婦つか家父長制みたいなものを前提として僕らは生きてます。わたしも割と家事を手伝ったりしますが、「手伝ってやってる」感とまではいかないまでも、あくまでもお手伝いであり、本来はかみさんがやるべき事という認識を脱せません。すみません。

何が言いたいかというと、じゃ、女性の、いや、ありとあらゆる人々が働きやすい理想的な社会環境が整ったとしたら、「家庭」はどうなってしまうのだろう、という事です。みんなが働きに出てしまったら、家にいるのは子供とリタイアした人だけ、あるいは妊娠出産や乳幼児の子育てをする期間だけという事になります。ま、現状でもそんなもんか。つか、もしかしたら僕らが持つ家庭という概念も家父長制に付随するものなのかもしれませんが。。。

すみません。結局何が言いたいかというと、もっと物理的というか即物的な事でして、専業主婦が家事としてこなしてきた労働はどこで消化すれば良いのかという事です。家事を全然やらない人もいますし一概には言えませんが、逆にやろうと思えばきりがないのが家事です。これをどうするのか。みんなが働いて現金収入が増えても家の中が雑然としていてくつろげないのでは労働力の再生産もままなりません。

そもそもくつろぐ場所なのか。つまり「家」の意味も変わってくるだろうと言う事です。当面は手の掛からないメンテナンス性のよい部屋とか家具とか家電が重宝がられるかもしれません。

部屋の中のあらゆる物はホコリが積もらない表面処理がなされてて、床に落ちたホコリは微妙な気流により一カ所に集まり、そして排出される、とか。

くつろげるというのはくつろぐという行為以上にステータスでもあり見栄なんですね。友達呼んだりしたいし。でも「高級」というものの起源は貴族趣味であり、コンプレックスの裏返しでもあります。そんな事よりも、帰って飯食って風呂入って寝るだけという機能重視の家がもてはやされるようになるかもしれません。

そんな家は嫌だ(鉄拳)。ヨーロッパはそうなってないじゃないですか。そうですね。

まあ、回りくどい言い方ですが、私はホコリが大嫌いだという事ですよ。奴らが油と結託したキッチンのあれとか。ああ、大掃除。

まとまりませんが、みなさま良いお年を。

Microsoftのマウス購入 その後

とても気に入って使っていたマウス(Wireless Mobile Mouse 4000)ですが、突然、レシーバーが非常に熱くなってしまって、それっきり反応しなくなってしまいました。保証証も捨ててしまっていましたが、ビックカメラスイカの購入履歴でOKもらって、修理に出しました。

結果、新品交換となり増した。

このマウスはもう本当に絶妙に手になじむので、もう一個買っといたほうが良いかもしれません。あまりにもなじむので、これはたぶん私だけの体験であり、あまり一般化できないのではないかとすら思えてきました。

IKEA 2段ベッド 余談

何かの作業を行う上で、重要なのは段取りである、というのは言わずもがなですね。段取りが恙なければ作業は終わったも同然です。そして、もう一つ重要なのは後片付けであることも言わずもがな、、、のはずですが、いくら口をすっぱくして言っても、うちの会社の新人には通じていないようです。後片付けと整理整頓は、作業そのものというより、人生に通底する壮大なテーマです。

という事で、2段ベッドのフレームが入っていた段ボールで作ってみました。

そのままでは細長すぎる箱なので、一旦開いて、適当に折り目をいれて、くるっと巻いて、!っと閃いて、ちょきちょきと。何の構想も段取りもなしに、魂の導くままに手を動かしていたらこうなりました。

話がつながってない?

確かに。

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