“NHKスペシャル「ワーキングプアIII 解決への道」の感想”を読んで

番組も見ていないし、人様の感想の感想ってのもなんですが。。。ワーキングプアについて思い付くままに羅列しますが、

まず、資本の動きを規制する事で解決しようとする方策はナンセンスだと思う。つーか根本的に規制不可能というか必ずなんらかの抜け道を見付けてすり抜けてくる。もちろん時間稼ぎとしては有効かもしれない。

資本は流動してなんぼなので、企業経営者としては溜め込みたいかもしれないが、それはあくまで人間的立場というか市場の外部的な立場であって、資本の立場(資本をあたかも意思のある一人称として語ってます)からすると、流動してなんぼというのがある。

ワーキングプアというのは行き過ぎた資主義がもたらしたものではあるが、その本質は意外にもお金の問題(プア)そのものの問題というより、社会から阻害された人々の問題という、ソーシャルな問題であるという指摘にはしびれた。

オブジェクト指向な仕事、つまり高度に抽象化および細分化された仕事、つまりはIT関連のお仕事とか、工場内の作業とかは、物凄く労働市場の中で流動的ゆえに、即座に地球上のどこにでも移転可能だということ。工場内作業とかほんと一挙手一投足まで管理されているもんね。蛇足だけど、去年面接受けた企業は「技能」の「技術」化を推進してて、面接官に「技術化が完了したら何が残るんですか?」って聞いた覚えがある。何か残れば良いんだけど、そうじゃなければ工場は海外移転、ほんとぺんぺん草も生えない極北にからっ風が吹きすさぶだけだなと思った。

社会との繋がりを持っているワーキングプアじゃない人達も、出来るだけ地域に密着した、そして人間としてのポテンシャルが必要とされる仕事を選んだ方がよいということだろう。人間にしか出来ないその場その場での判断力や決弾力が求められる仕事。

さていきなりだが

 州政府は130億円の予算をかけて1万人の雇用をふやし1200億円の税収増をしたという。

ここにヒントがあるように思う。130億円の投資で1200億円のバック。こっれて株式投資?

医療保険の問題でも、現在適切な予算を投じておけば将来その数十倍の損失を防ぐことが出来ると言う。これもなんかカラ売りに通じるところがあるような。

そう、ここに企業が溜め込んだ資本を投資させるのだ。諸刃の剣である事はもちろんであるが、資本主義とのつき合い方というのは、結局こういうつき合い方しかないのだ。

この投稿の続きを読む

ワーキングプアとかホワイトカラー・エグゼンプションとか 続き

  • ワーキングプアとかホワイトカラー・エグゼンプションとか
  • の続き。NHKスペシャルで団塊の世代の事をやっていてふと思った。ホワイトカラー・エグゼンプションが、今現在、導入を検討されているのは団塊の世代の定年退職時期と関係するものがあるのかなあ、なんて。ほっといてもお互いに競争して作業効率が高い世代が去って、のほほんとした人間ばかりが残り、経営側としてはこれを機に賃金を下げたいなあ、とか。

    とはいえ、関係があったとしてもきっかけのタイミングに過ぎないはずで、実際にはもっと大きな傾向の、その始まりに過ぎないはずだと思う。資本主義に乗っかっちまったからにはいずれ避けられない事態であったはずだ。

    その「大きな傾向」って何かとか、色々考えていたのだけど、ズバっと記されているブログを見つけたので、リンクしときます。

  • 石器時代から1万年ぶりに、この惑星上の富が人々に平等に行き渡る時代が来る
  • 上記ブログには、この他にも関連する興味深いエントリーがありますので、どうぞご一読を。

    この流れで見れば、ワーキングプアもホワイトカラー・エグゼンプションも必然なわけで、違法であるとか、非人道的であるとかで退けられるものじゃないはずなんです(まあ、一時的にはそれで持ちこたえたいところですが)。私たちが絡めとられてしまっている、資本主義というシステムの要請なんです。

    1万年後にスーパーフラットな世界がおとずれて、資本の流れが止まったとしたら、そこが資本主義というシステムの、ポテンシャルの限界と言う事なんでしょうか。といってもそれは単に地球上で飽和してしまったという事に過ぎないかもしれませんけど。資本流動の余地、というかフラットでない条件、つまり何らかの価値体系間の差異を与えてやれば再び動き出すんでしょうね。つか、この差異を常に捏造し続けるのがこのシステムの本質ですので、すんなりこのままスーパーフラットまでは行かせてくれない様にも思います。マルクスはほのめかすだけで具体的には言及しなかったらしいけど、わかる気がする。このシステムは強固だから、全ての差異を食い潰すまでは止まらないように思うし、1万年とはいわずに仮に1千年後としても、地球環境がもたない気がする。

    ホントの意味で歴史が終焉した1万年後に、宇宙人にでもなったつもりで、地球という惑星の歴史を時間短縮で再生して見てるようなつもりで考えればわかり易いんじゃないでしょうか。

    ほいで、やっぱ結局は肥大化した太陽に飲み込まれてしまうんですけどね。

    そういえば、肥大化した太陽に飲み込まれてしまう寸前の描写を、村上春樹の作品で読んだような気がする。つまり彼はそういう視点を持っていると。作品は何だったか。それは地球だったのか。まあ、どうでもいいか。

    【追記】
    それと、あれだ、これからは、というか既にそうなんだけど、より一層、マスメディアへの資本の関与が強くなっていくはずだから、アメリカでマードックがやってるような事が日本でももっと行われる様になるかもね。

    この投稿の続きを読む

    ワーキングプアとかホワイトカラー・エグゼンプションとか

    これって、どう理解して、どう受け止めればよいのだろう。

    以下、独断と偏見による個人的な現状理解のメモ。

    「ワーキングプア」に関して。まずは、あまりにも基本的な話だけど、機械化出来ない、つまり人間がやらなければならない、けれども単純な作業というものが製造業において相当量存在すると言う事。ここが搾取の対象になっている。企業は彼らを搾取し、犠牲とすることで業績を回復し、ひいては日本の景気も回復しつつある。つまりは我々日本人一人々々が恩恵にあずかっているわけだ。「ある世代」という形ではくくれないが、何らかの傾向でまとめられそうなグループが、このまま歴史の中で抹殺されていこうとしているようなイメージを抱かせる。

    ヨタ話だが、かつて原発施設の清掃は、手配師が新宿で浮浪者を集めてやらせていたそうである。本来ならば放射能防護服を着用し、それでも限られた時間しかいる事が出来ないような場所の作業を、素のままの格好でやらせ、とうぜん体の不調をきたしてバッタバッタ死んでいくわけだけど、もともと身寄りのない人達だし、大きな問題にもならずに看過されてきた云々・・・。この人達の犠牲の上に成り立っている電力を我々は湯水のごとく消費しているわけです。むかし鳥越さんの番組でやってたこの話を思い出した。

    法律とは常に現実の後追いしか出来ないので、「ワーキングプア」という現象が認められたが、まだ対策が出来ていない、という事なのだろうか。いや、もちろんそうなのだろうけど、その原因は社会や産業の構造上、あるいは資本主義の宿命として、やむを得ないものなのだろうか。どうもそればかりではなくて、規制緩和による法律の隙間を上手くついた派遣業者が確信犯的に搾取を行ったというのもかなりあるようである。後者であれば、ある程度対象を特定して保障も出来そうだけど、今の日本にゃ財源がない・・・。

    さて、ついこの間までは、労働力市場というのは一国のなかで閉じて考えればよかった(たぶん)。経済のグローバル化で、労働力そのものが国境を越えて流動を始めたし、実際に流入して来なくとも、出来上がった製品のコストとして考えれば、安い海外の労働力で生産された製品と対抗しなければならなくなった。工場内の単純作業というのは一番国際競争力が試されそうな分野ではなかろうか。原理的にいえば街の豆腐屋さんだってクリーニング屋さんだって同じ労働力なのだけど、生み出される製品やサービスがローカルなので第三世界と賃金競争する必要がない。グローバル化以前で言えば、工場内の単純作業で生み出される製品も内需だけを考えていればよかったわけで、街の豆腐屋さんやクリーニング屋さんと変らずそこそこの賃金を稼げた。

    内需だけを考えればよかった時代という事で言うと、国内全体で考えた場合、工場内の単純作業労働者に支払われる賃金で、出来上がった製品が購入されるわけだから、コスト意識だけで労働者の賃金を抑える事は、一国内の経済を考える場合むしろ逆効果の面がある。「商品」というのは実際にお金で購入されてなんぼですから、産業資本主義では、資本は、資本家→労働者→商品(資本家)というループで増殖される。このループを加速させて回転数を上げるには賃金はそれなりに与えた方がよいという事になります。

    それも今は昔。

    そして、ホワイトカラー・エグゼンプション。

    そもそも、俺、この範疇にいた事無いし、これからもそうだろうな。つか肉体労働やりたいな、つうのもありますけど。仮に前職がホワイトカラーだとして、自分だけがこの待遇受けたらやになりますけど、日本国中がそうなら話は変わってくるでしょう。つうか、社会構造自体ががらっと変わってしまう可能性が高い。これから先、産業界は内需に期待出来なくなるでしょう。こんだけ家電大好きな国民だったのにね。ま、資本の立場からすると「産業」への依存度は減りつつあり、これからは「金融」が主になってゆくのかもしれませんが。

    現状でも「中産階級」がごっそり消滅しちゃってる雰囲気はあるけど、みんなが低賃金であればデフレでかえって暮らし易くなるかもしれないし、実際問題どう変るのか全くわからん。それはそれで、ある意味楽しみではある。

    いずれにせよ、過渡期なんだろうな。仮に北欧みたいな理想的な福祉国家を目指すとしても、あるいは別の形態の国家を目指すにせよ、とりあえず清算しなきゃいけない事が多すぎる。

    これからの日本を考える言説では、皆が一様に悲観的に語るんだけど、混沌が拡大していくようなこの状況に、俺はむしろワクワクしている。こんな状況だからこそ人生を楽しもう。子供をつくろう。いや、少子化対策とかじゃないぜ。子供は楽しいぞ。「こんな時代に生まれた子供はかわいそう」とかいう人がいるけど、それは子供自身が決める事だしな。ほっときゃ育つよ。

    このまま人間の生活が資本主義に飲み込まれてしまうのか、はたまた共産主義革命以来のどんでん返しがあるのか。その前に環境破壊で地球が壊れてしまうか。

    でもね、どっちにせよいずれ地球は肥大化した太陽に飲み込まれて消滅しちまうんだからさ。ちゃんちゃん。

    余談だけど、「美しい国」というのは、かつての、そして今現在は存在しない「中産階級」を前提とした言葉の様に思える。20年くらいずれているんだよ。もう遅いんだよね。今現在はどっちかっつうと「食える国」にして欲しいんだよな。

    一日早いけど、以上をもって2006年の総括とさせていただきます。

    この投稿の続きを読む

    フォロー

    Get every new post delivered to your Inbox.