村上龍文学的エッセイ集 其の二
2006年 2月 16日 コメントする
残りの3分の1を読み終えた。だいたいがサッカーに関する事であった。
サッカーについて書いていながらもその根底にあるのは旧態依然とした日本的システムへの嫌悪感や憎悪ですね。
先日テレビのゴールデンタイムでで整形に関する番組をやっていた。最近の整形技術や、ちょっとした見せ方の違いで人がどれだけ変われるのか興味があった。かみさんがすごく見たがっていたのだけれど冒頭の部分だけをみてムカムカしてきたので、かみさんには悪いけどチャンネルを変えた。幼い頃からフランケンというあだ名でよばれて、その容姿ゆえに虐げられて生きてきたみたいな前置きなのだけど、整形する事で生まれ変われると思っているようだ。彼女の心に巣食っているものこそ村上龍が憎んだ日本的な価値観だろうと思った。
以前にもエントリしたけど、自ら支配されようとする心理である。この女性も自分を蔑んだ集団の一番下にぶら下がろうとしている。自らの価値観を創出しようとはせず、自分を辱めた集団の価値観で自らをはかり、そこに加わろうとしている。番組を最後まで見ていないのでこれ以上は何とも言えないのだけど、新聞の番組欄を見ると「和田激怒」とあった。さもありなん。そんなうじうじした人間には反吐が出る。しかし怒る資格があるのか。そのような自己を確立出来ていない人間を全国の視聴者にさらし、コメンテーターに怒らせる事で視聴者は溜飲を下げるという図式そのものが腹立たしいし、そこで飯を食わせてもらっている人間は同じ穴のムジナだ。まあ、そもそもそういうていでやっている訳だから、全てうまくまわっていて私だけが蚊帳の外だとすれば、そんなこんなを考える事すらバカバカしくなってきた。
テレビってほんとにやーね。
村上龍の文章が読みにくいと書いたが、あとがきには自覚的にそうのように書いている旨が記されてある。そうでなくっちゃね。
村上春樹の文章がオナニー的であるのとは対照的だ。
でも私はどちらも大好きですけどね。
